STAFFスタッフ
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- 中村博樹
- HIRO NAKAMURA MEN'S PREMIUM BARBER、オーナーの中村です。
青森県にある七戸町で、理容師の父、美容師の母のもとに末っ子の第三子として生を受けました。
8歳年上の姉、4歳年上の兄がいます。
父は手先が器用で、日曜大工もお手の物。口数は多くはありませんが、私がしたいと言ったことを否定せず見守ってくれ、大きな愛情のある人でした。
母は家族のムードメーカーで、忙しい美容師の仕事をしながらもいつも明るく家族を支えてくれました。
祖父母も一緒に暮らしており、多忙な両親に代わって幼い兄弟を温かく見守ってくれていました。
幼少期は末っ子ということもあり、今思えば他の兄弟よりも甘やかされて育ったかもしれません。
発語が遅く、しゃべりだしたのは2歳を過ぎてから。母が心配して病院を受診しようか悩んでいたところ、いきなり二語文を話しだしたそうです。
地元は山や田んぼ、畑ばかりで、本当に自然に恵まれた豊かな環境で伸び伸び育ちました。
冬になると毎年たくさんの雪が降ります。
実家にある除雪機は雪の季節になるとフル稼働です。(父が運転します!)
幼い頃は除雪機に乗せてもらって多くの雪を片づけたり、通学路の小高い丘からソリで滑ったり、雪は子どもにとって一つの遊びのツールでした。
そんな田舎で伸び伸び育った私が、学生時代に打ち込んだのは野球です。
高校には野球の特待生として進学し、ポジションはピッチャー。
三年間、厳しい練習にも耐え、夏の全国高校野球選手権青森大会でベスト4まで勝ち上がりました。
高校生活のほとんどは部活で野球をしていたと言っても過言ではないくらい、部活漬け、野球漬けの毎日だったと思います。
朝3時に起きて登校、朝練をして授業を受けて、早弁をして(笑)、昼食を食べて、また授業を受けて、合間におやつ(と言ってもガッツリ)を食べて部活をして…
22時過ぎに帰宅をし、夕飯を食べて…
…なんなら食べていることの方が多かったかも…(笑)そこは運動部所属の高校生男子、胃袋は無限大∞です!!
友人には本当に恵まれ、楽しい青春時代を過ごせました。今でも当時のチームメイトとは交流があり、実家に帰省した際には飲みに行く間柄です。
正直言って私は初めから理容師を目指していたわけではありませんでした。
消防士、自衛官…やってみたいことが多々あり、進路にはかなり悩みました。
そんなとき、父から言われた「理容師やってみないか?」という言葉。
幼い頃からずっと見てきた父の仕事。
とても身近な職業ではあったものの、毎日多忙な父を見ていると大変そうで、いざ自分が理容師になるという考えはありませんでした。
そこから更に進路について、特に『理容師』という職業について考えることとなります。
自宅は理容室と美容室両方の店舗をもつ、いわゆる「店舗兼住宅」でした。
理容室では父が、美容室では母が、毎日たくさん来店されるお客様をカッコよく、綺麗に、しています。
父のお店の雰囲気、昔ながらの床屋さんの香り、いつも来てくれている近所のおじさんの「ありがとう」「気持ちよかったよ」「また来るね」との声。
今までは特に気にも留めていなかったこと、ひとつひとつが新鮮に、かつ魅力的に見えてきました。
自分のカットやシャンプーでお客様が喜んでくれる。
お金を頂きながらも「ありがとう」と感謝していただける。
ああ、この仕事はお客様の未来を創るお手伝いができる素敵な仕事なんだ、と。
そう感じてからはより一層この『理容師』という仕事が素晴らしい職業に思えるようになっていきました。
その後、父に「理容師になりたい」と話した時の、父の嬉しそうな顔は今でもよく覚えています。
高校卒業後、理容師免許を取得するため、青森県内の理美容専門学校に進学します。
理容師という志すものが同じもの同士、理美容学校生活はとても楽しかったです。
2年間勉強して無事に国家試験に合格し、理容師として社会人を迎えることができました。
理美容学校卒業後初めて親元を離れ、千葉県にある理容室に新店舗のオープニングスタッフとして就職します。
初めはアシスタント業務、掃除や洗濯、ポスティング(ポストにチラシを投函する)など、やることは山積み!
営業終了後はシャンプーやブロー、カラーの塗布練習、カット練習など、主に自分の技術を磨く時間に当てます。
アシスタントの頃はただただ目の前の事に必死で、夢であるスタイリストを目指して毎日遅くまで練習しました。
同グループの店舗は多々ありベテランのスタッフも多かったので、先輩スタッフの技術を身近に見ることができる環境でした。
お客様の頭のかたちや髪の生え方・癖、その方の性格や今の気持ちの部分など、ひとりひとり違うお客様に対してその時の最適案を提案し、どう寄り添っていくのか。
技術面はもちろんのこと、スタイリストになる上で、お客様を担当させていただくことの責任やプロとしての覚悟など、何よりも自分自身のお客様に対する気持ちが大切だということも学びました。
一方で、仕事や練習は真面目に取り組み、仕事以外の時間は外に出ていろいろなものを見て、いろいろな人と話をし人間力を高めることも理容師として、人として大切な事だということを経験を通じて実感しました。
もともと少しシャイで(自分で言うのも…ですが)自分を売り込んだり、積極的に会話を広げるということが苦手な部分があったので最初は苦労しました。
しかし、いろいろな人と出会い見識を広げることができたこと、そしてたくさんの先輩方の元で基礎的な技術や人間な部分まで学んだことは今も理容人生の礎になっています。
そして努力の甲斐あって社内の厳しい審査に合格し、いよいよ憧れのスタイリストデビューを迎えます。
スタイリストとして料金をいただいてカットするという責任の重さを感じ、少し手が震えながらカットしたことをよく覚えています。(ここだけの話ですが、おしりにも汗かきました…笑)
アシスタント時代にカットモデルとして来てくださっていた方や友人もお祝いにと駆けつけてくれて、本当に嬉しかったです。その時に、たくさんの方たちに支えられて私はスタイリストになることが出来たんだ、と改めて実感しました。
スタイリストデビューを果たしてからも、勉強の毎日は変わらず、お客様の悩みやコンプレックスに真剣に向き合い、至らなかった点に関しては反省をしてどうやったら次に生かせるのか考える日々でした。そんな怒涛の日々の中、あっという間に毎日は過ぎていきます。
デビューして2年が経った頃、SPC全日本理美容選手権大会という、理美容界で権威のあるコンテストに出場することになりました。私が出場したのは『ブロースカット部門』。ブロースカットという言葉は聞きなれない方が多いかもしれませんね。わかりやすく言うと『角刈り』のことを言います。
制限時間内にいかに丁寧に長さを正確に切り揃えるか、ツヤを出しながら面をキレイに切り揃えるか、高いカット技術がなければ出来ないことです。
その、2009年度SPC全国理美容選手権大会『ブロースカット部門』地区大会において地区優勝、そしてその後に進んだ全国大会においても全国優勝することが出来ました。
この時の喜び、そして今まで支えてくださった方々への感謝の気持ちは一生涯忘れることはありません。
しかし、いくら全国優勝したと言っても、それはブロースカットでのこと。ブロースカット以外の技術に関してはまだまだ上がたくさんいます。先輩方の技術や目まぐるしく変わっていく流行を学ぶことに終わりはありません。
そんな中、同グループの他店舗への移動が決まりました。
その店舗のスタッフは自分と同年代が多くて比較的年齢層が若いお店でした。同年代が多いと良い刺激を受けることも多々ありますが、衝突も多いのが事実です。ただそれは、スタッフみんなが良いお店を作ろうとしているが故のこと。
どうしたらお客様の要望にいかに応えられるか、お客様に気持ちよく過ごしていただくためにはどうすれば良いか…
毎日スタッフ同士で話し合い、意見を交わしました。
デビューして間もないジュニアスタイリストだった自分は、『チーフ→店長→マネージャー』へと肩書も変わり、肩書が変わったことでそれに伴う責任も重くなり、会社内での立ち位置もどんどん変化していきました。
入社して10年、マネージャーとして店舗の所属スタッフの統括や教育を担当していく中で、社長より「今のお店を譲り受けてほしい」とのお話がありました。
譲り受けるということは、今の会社から独立をして一人でやっていくということ。
自分に出来るだろうか、お客様はついてきてくれるだろうか、まだ力不足なのではないか…いろいろな考えが頭の中を巡りました。でも、
「やってみたい!!自分の理想のお店を作って、お客様に喜んでもらいたい!」
その想いが不安な気持ちを上回りました。
独立が決まってからは日々の営業に加え、ニューオープンに向けての改装準備、関係各社への連絡や挨拶、などさらに怒涛の忙しさで目がまわる毎日でした。
それでも自分の理想のお店を作るため、改装工事には自分も出来るだけ立ち合い、いや、立ち会うだけでは気が済まず、自分も電ノコで棚を解体したり、ペンキを塗ったり、自分は理容師ではなく木こりか職人なんじゃないか、と錯覚を抱くくらい積極的に取り組みました。
そして工事も無事終わり、とうとう新生BAY HAIR(前サロン名)ニューオープン!
今までは一会社の店長、マネージャーとしてでしたが、今回は0ベース。
技術は当たり前の事、どうしたらもっとお客様に喜んでいただけるのか。そして、自分が理想とするお店とは…??
そのことを常に心に抱きながら、今も毎日お客様のお悩みやご希望に寄り添ってお仕事をさせていただいております。
昔から通ってくださっているお客様の中には、「中村さんじゃないとだめ」などという嬉しい言葉をかけてくださる方もいて、本当に理容師冥利に尽きます。
最近は男性も美容室に通われる方が多くなり、理容室だけでなく美容室も合わせたら日本全国で約38万件にもなる中、当店を見つけて来てくださる、新規のお客様も増えてきました。たくさんのお客様に選んでいただけて、更には何年も通い続けてくださる。理容師という職業に関心が無かった私が自分のお店を持ち、今の自分があるのは、今まで自分に携わっていただいたお客様、いつも温かく見守ってくれた前会社の社長をはじめ、時には優しく丁寧に、時にはビシバシ体育会系のように厳しく、育てていただいたスタッフの方々のおかげです。いくら感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
~人生は一生勉強~
これからも常に向上心を持ち、この先10年後、20年後…と、出来るだけ長くお客様に愛されるお店を作るために、今後も携わらせていただくお客様を大切にし、限られた時間を精一杯の想いを込めてハサミを持ちたいと思います。
末筆ではございますが、このホームページをご覧いただいた皆様。
そして長すぎる自己紹介文を読んでくださった皆様。
最後まで読んでいただきありがとうございました。中村博樹という人間が、どういう”人となり”なのか。今までどんな人生を歩んできたのか。少しでも中村博樹という人間に興味・関心を持っていただけたら幸いです。
今後出会う方々、宜しければぜひ一度『HIRO NAKAMURA MEN'S PREMIUM BARBAER』にお越しください。
まだまだ若輩者ではありますが、ただカッコよく美しくするだけでなく、心に寄り添いながらお客様と向き合い施術しますことをお約束させていただきます。
今後ともHIRO NAKAMURA MEN'S PREMIUM BARBERを、中村博樹をどうぞよろしくお願い致します。